ささのはさらさら

読書や映画・音楽鑑賞、仕事や旅や犬や酒。

ジルベルトとかぜ

風が強く吹いた日でした。

びゅおーん、ぐおーん、と、風はうなりを上げて、草むしりをしている僕等のそばを通り過ぎていきました。

 

「うおおおおおーい! かぜくん! ねえかぜくん! もうやめて! 本当にやめて!!!」

 

風は僕が必死に集めた刈葉の軽い部分を吹き飛ばし、びゅおーん、ぐおーんと去っていきました。

 

「うう、うううう……」

 

僕はまたシャカリシャカリと、ほうきで草を集めました。

悔しいのう、悔しいのう。

しかし、自然には勝てない。

それが造園の仕事ですね。

 

さて絵本好きな方は、お察しでしょう。

 

今回ご紹介する絵本は……。

 

『ジルベルトとかぜ』

作:マリー・ホール・エッツ

訳:たなべ いすず(田辺 五十鈴)

出版社:冨山房

対象年齢(筆者感覚):5さいくらいから

 

 

www.ehonnavi.net

 

ジルベルトとかぜ

ジルベルトとかぜ

 

 

こちらでございます!

 

 

風や、自然のものとおはなししていたあのころ。

 

こちらの作品の作者は『もりのなか』で有名なマリー・ホール・エッツです。

彼女はほんとうに、子どもの見ている世界を文章にすることに関して天下一品なのではないでしょうか。

この『ジルベルトとかぜ』のなかでも、主人公の男の子ジルベルトくんが、さまざま表情を見せる風とお話をする、という作品です。

 

たとえば、ジルベルトのすむまきばの木戸がはりがねで留まっていないとき。

風は木戸を押し開けたり、ばたんとしめたり、ぎしぎしきいきいゆすります。

 

「かぜくん! ねえ かぜくん!」きどにのぼって、ぼくは いうんだ、「ゆすってよ!」

でも ぼくが のぼってると おもすぎるんだ。うごかせないんだよ、かぜには。

 

こどもはきっと、世界をこんなふうにみているのでしょうね。

ジルベルトには、風の声まできこえているのです。

 

長新太さんの本だったか、五味太郎さんだったか、どなたのおはなしかは忘れてしまいましたが、『おさないころはすんなり「おさかなさん」だったり「おうまさん」だったり「コップさん」だったりを認めて、すべてのいきものや物体が近いところにある。

アニミズムの世界に近い』とおっしゃられていました。

 

この絵本も、ジルベルトにすると、風はいきもので、ともだちです。

風はわがままで、いたずら好きで、ときどきやさしい。

ジルベルトが「ふいて!」というときにはふかないで、ふかなくていいときにふいて、ジルベルトをこまらせたり、怒らせたり。

風ってそういうものですよね。

だからこそ、今日も僕を困らせたわけです。

でも、そのほかの時はすずしくてきもちよかったりするんですよねぇ。

 

表紙は明るい黄色ですが、ページをめくると、鶯色をより暗くしたようなシックな色の紙に、エッツの音のないようなしずけさがただよう絵が広がります。

色は、紙の色、黒、白、茶だけ。

この絵を見て騒ぎたくなる人はいないでしょう。

 

『もりのなか』もそうですが、僕はなんだか、エッツの絵本を読むと、心の波がしずかにおさまっていく感じがします。

椎名誠さんも、著作の中で、「ウイスキーをちびちびなめながら読む」なんて書いていたなぁ。

 

僕はまた、風の強い日にはジルベルトのようになりながら、「やめてくれかぜくんやい!」と叫ぶのでしょう。

しかし、風の声は、もう聞こえません。

でも、この絵本を読めば、風の声が聞こえていたあのころを思い出すことが出来るかもしれません。

 

ぜひ一度ごらんください!

 

 

それでは。

世界でいちばん高い山世界でいちばん深い海

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一時期、本屋さんでアルバイトをしていたことがありました。

地元でもそれなりにおおきな本屋さんだったので、老若男女問わず、さまざまなお客さんがやってきて、書籍の需要などが知れておもしろかったです。

 

 

「わぁ、ものすごく派手なおねぇさんだ。メイクも気合入っているぜ。おしゃれな雑誌でも買うのかな? ……えっ、BLの本を13冊?!」

 

「へぇ、この雑誌、クーラーボックスのおまけつきか。こっちは超人気女優、Mさんプレゼンツのポーチか。

……えっ! 予約300件?!」

 

「あっ、ジャニーズの人気アイドルが新曲出すんだな。

初回限定版が3バージョン、通常盤が2バージョンか。すごいな。

……えっ!! 全部予約したい人が70人以上?!」

 

 

などなど、やはり誰もが知っている、人気のあるものは強い。

ということが、いやがおうにも理解することができました。

 

とにもかくにも、だいじなことは、僕が本屋さんでアルバイトしていたということ。

ある日、児童書コーナーで仕事をしていると、おかあさんとちいさな男の子がいて、男の子がおかあさんに本をおねだりしていました。

いわく。

 

「おかあさん、これほしい」

「なんねそれ。

『恐竜世界のサバイバル』?

 

あんた恐竜と戦わんめぇもん」

 

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その言葉を受けて、僕は思いました。

 

ちがうんですおかあさん!

お子さんはただ知りたいだけなんです!

恐竜とはなんなのか、どれだけでかいのか、強いのか、かっこいいのかを!!!

べつにその世界でサバイブしたいわけではないのです!

でも行けるなら行ってみたいとは思ってます。

 

 

ちいさい頃って、最強とか、どっちがでかいとかいうお話が好きでしたよね。

(と書こうと思いましたが、今も好きでした。

僕の周りの男たちもみんなそんな話が好きです。

うむ。男はそれでいいのです。)

 

 

というわけで、今回ご紹介するのはこちらの絵本。

 

『世界でいちばん高い山世界でいちばん深い海(いきもの・地球のいちばん事典)』

絵:ペイジ・チュー

出版社:パイ インターナショナル

対象年齢(筆者感覚):小学校高学年向け

 

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『——いちばん大きな恐竜はなんだろう

——いちばん大きな嵐はどのくらいの大きさだったのだろう。

——いちばん高い木はどこにあるんだろう。

——海のいちばん深いところにすむ生きものはどんな姿だろう。』

 

 

この『世界でいちばん高い山世界でいちばん深い海』の前書きにはこうあります。

僕等はおとなになっても、知らないことばかりなのに、知ったらたのしいことばかりなのに、「知らなくてもいい」のほうが強くなって、いつしかそれを知りたいとも思わなくなってしまいますよね。

 

たとえば、地下に街をつくって暮らしていた人々のこと、4600キロの旅をするチョウ、一分間に平均で28回の稲光を見ることが出来る場所、4000年以上生きるサンゴ。

 

あぁ、この瞬間にも、どこかでなにか信じられないことが起きているのですね。

この前書きの文言にワクワクしたら、すこしページをめくってみませんか?

きっと、世界のことが読む前よりも好きになります。

 

 

個人的には、このあえて古い本のようなタッチの挿絵、紙の色・シミの感じが、冒険ものの映画みたいで好きです(『インディー・ジョーンズ』とか『パイレーツ・オブ・カリビアン』とかのイメージ)。

なんだか宝物にしたくなるような作られ方をしています。

ただ、ちょっとむずかしいことばも載っていますので、高学年のこどもに特におすすめします。

もちろん、そこの毎日退屈そうな顔をしている若者・おとなたちにもおすすめです!

 

それでは!

雨、あめ

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雨の日、好きですか?

 

今日、僕が住む町は雨でした。

なかなかに強い雨で、造園工として基本的に外で働いている僕は、とうとう雨合羽と長靴を履いて草むしり。

今は見習いなので、刈られた草を集めるのが主な仕事です。

草の刈られた箇所には、スズメやハトやムクドリ

ルリツグミなどがやって来て、チュンチュン、クルックー、ギャッギャッと言いながら、我々の仕事により住処を奪われて、体がさらされた虫たちをつついています。

雨が降っても鳥たちは、最初の方はエサをとりますが、だんだん雨脚が強まるとどこかへ飛び去ってしまいます。

僕はそれを横目に見ながらほうきで、ぬれて重くなった草を集めます。

雨が強まるまで雨合羽を着なかったものですから、作業着はすでに十分に水分を含んでいて、僕自身から発せられる熱が合羽の中でこもっています。

まだまだ降り続き、草とぬれた土の香りが立ち込め、だんだんと水たまりが出来ていく世界。

そして、合羽の中のなんだか懐かしい熱気から、僕はピーター・スピアー『雨、あめ』という絵本を思い出しました。

 

 

『雨、あめ』

作:ピーター・スピアー

出版社:評論社

 

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アメリカを代表するイラストレーターであり、絵本作家であるピーター・スピアー

彼の絵はとても繊細で、色彩は豊かであるのに落ち着いた色合いをしており、なによりユーモアにあふれています。

この作品は、庭で遊んでいた幼い姉弟が、突然降りだした雨の中に、雨合羽と長靴を身に着けて探検をしにいくことばのない絵本です。

 

まず表紙をめくった瞬間に、思わず目を奪われてしまうはずです。

アメリカの家の広い庭が、ペンと水彩絵の具を使ったスピアーのやさしさに充ちたタッチによって描かれています。

幸せとやすらぎがあふれたその絵には、空のはじっこに暗雲がせまって来ています。

ふしぎなことに、そのやってくるまっ黒な雨雲さえも、スピアーにかかれば冒険の予感。

楽しいことのはじまりの合図に思えてしまうのです。

 

さすがピーター・スピアー!

 

 

なぜだか子どもはどろんこ遊びが好きですよね。

最初、僕が仕事のときのとことを懐かしい熱気と書いたのも、幼い頃、僕も雨の日や雨上がりに外で走り回って、泥を使って大好きだったからです。

ふしぎなもので、20年以上前のことなのに、その時の肌の感覚やにおいというのは染みついているものなのですね。

 

物語の中で、姉弟は、出かけるときはお母さんがやさしく見送ってくれ、帰ってきたときもお風呂を準備していてくれています。

あぁ、僕もそうだったな。

いつだってお母さんが見守ってくれていました。

 

最後に姉弟はおいしい夕ご飯を食べて、あたたかい家の中から日が暮れた街に降る雨を眺めます(弟はなぜかずっと半ケツです。ここがスピアーのユーモアあふれるところ。思わず微笑んでしまいます)。

そして、朝が来ると雨は上がっていました。

良く晴れていて、庭は雨に洗われて光輝いています。

 

なぜだか僕は、このちいさなちいさな物語を読むと、このおおきなおおきな世界がすばらしいものだとすら思えるのです。

 

ありがとう、ピーター・スピアー。

おかげで僕は明日も歩いていけそうです。

オレときいろ

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絵本は爆発だ!

 

いきなりで恐縮なのですが、率直に言って、僕は「大人へ向けた絵本」がきらいです。

絵本とは子どもが楽しむべきもので、最初から大人へ向けた、あるいは子どものことをないがしろにした絵本というのは、読むと首をかしげてしまいます。

 

この『オレときいろ』は、子ども向けといって良いのか? しかし、大人向けでは絶対にありません。

大人である僕の、引きずったままの子どもの感覚が喜んでいることがわかる、つまりは、誰もが宝物にしたくなるような、そんな絵本です。

 

 

『オレときいろ』

作・ミロコマチコ

出版社・WAVE出版

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木の上に座っている猫の「オレ」のもとに、とつぜん「きいろ」があらわれるところから物語ははじまります。

きいろはオレがつかまえようとすると逃げ、必ずつかまえてやる、と息巻くオレのもとへ降ってきたり、地中から吹き出てきたり。

ただひたすらに爆発的に増え、ただひたすらに豪速で過ぎ去り、オレに蹴散らされてもまた生まれ、この世のあらゆるものを象り、オレの、そして読者の前をぐらんぐらんとほとばしっていきます。

 

つまり、お分かりいただけると思いますが、ストーリー性はあまりありません。

しかし、この作品は読者の心をつかんで離さないのであります。

 

きいろは、ほんとうに「黄色」です。

真っ白なページに、あまりにも鮮やかな黄色が、ミロコマチコさんの手により塗りつけられています。

その黄色は光り輝かんばかりで、読者に、自分が読んでいる、というより

 

「絵が目に飛び込んできている」

 

という錯覚すら覚えさせてくれます。

 

きいろは、生まれてくる命のようなもの。

命という現象そのもののような気もします。

それら命という現象、ただ生まれてくるものたちの息づかい、力強さを、ミロコマチコさんはすくい取り、描き、この絵本を作り上げました。

「爆発している」と、読者は感じずにはいられません。

目を奪われるとはこのことなのでしょう。

岡本太郎さんは「芸術は爆発だ!」と遺されていたけど、「絵本は爆発だ!」と僕はひとりうなずいたのでした。

 

作品のフィナーレは、きいろがどんどんどんどんと増え続け、鮮やかに咲き誇ります。

いのちは爆音で生まれ、嵐のように荒れ、そうして最後は、おだやかに揺蕩いつづけるのでしょう。

きっと子どもに話してもむずかしいことですよね、書いてる僕も「うーむ?」てなもんです。

 

 

でもきっと、この絵本を読むと子どもたちも、心の底から湧き立つなにか(この絵本のなかの『きいろ』のようなもの)を感じ取り、ただひたすらに楽しんでくれるのではないでしょうか。

 

言葉も理屈も超えた、エネルギーの放出。

この絵本は、いつまでも輝き続けているのです。

あくたれラルフ

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あくたれ? チンピラ? 腹が立つけどニクメナイ猫の物語

 

絵本とは実に多種多様でおもしろいものであります。

絵本ビギナーの僕は読めば読むほどに、それを実感していました。

しかし、それと同時に、すこしばかりモヤモヤとしたものが心に溜まり始めていました。

それはすなわち

 

「ひねくれた作品が少ないなぁ」

 

という、性根のひねくれた僕ならではの、これまたひねくれたふらすとれいしょんなのでありました。

やっぱりいい子の話、すてきな話が多い気がしてしまったのです。

 

ところが、今回紹介する、この『あくたれラルフ』は、そんな僕の前に、まるで当たり屋のように躍り出てきやがったたのでありました!

このあくたれめ!

ばっちり車載カメラで撮っているからな!

ううむ、思わず口も悪くなってしまう。

絵本の記事の時は丁寧なことばづかいで行こうと思っているのに!

しかし、これが『あくたれラルフ』の魅力なのです。

 

 

『あくたれラルフ』

作:ジャック・ガントス
絵:ニコール・ルーベル

訳:石井桃子
出版社: 童話館出版

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一度見たら忘れらないその絵は、まるで子どもが描いたような、力強く、ふてぶてしいとまで思える色使い、線。

はじめて手に取った時、その奔放さに、おもわず「ほーっ」と息がもれました。

 

 

 

とにかく「あくたれ」な猫、ラルフ。

どれだけ「あくたれ」かというと、飼いぬしでセイラの乗っているブランコのぶら下がっている枝を切り落としたりするくらいの「あくたれ」なのです。
僕は読みながら何度
 
「おい!」
 
と声を荒げたことでしょう。
とにかくひどい。
やりすぎです、この猫は。
 
「おとうさんのスリッパをはき おとうさんのいすにこしかけ
おとうさんがいちばんだいじにしているパイプでしゃぼんだまをふいていました」
 
おい!
 
「つぎの日のゆうがた ラルフはじてんしゃでしょくどうにとびこんできて
テーブルにどっしんとしょうとつしました」
このページのラルフは、パーティーのおおきなケーキの上にあたまからつっこんで、首から下がテーブルと垂直になっています。
 
おい!!
 
僕は思いました。
もはやこの猫は「あくたれ」を超えて「チンピラ」だと。
 
 
ラルフはある日、家族で観に行ったサーカスで、またもや「あくたれ」ぶりを発揮し、空中ブランコでつなわたりする人をけり落としたりして(おい!)、とうとう家族に愛想を尽かされ、サーカスに置いていかれてしまいます。
 
 
「ときどき あんたを かわいいとおもえなくなるわ」
 
 
サーカスでラルフはいじめられてしまい(ゾウに水をかけられたり)、脱出した先でも「やくざのねこ」にいじめられてしまいます。
 
 
やくざのねこですよ!!(大興奮)
 
 
そんなワードが登場する絵本、この作品くらいなのではないでしょうか。
素晴らしい。
これで笑わないオトナがいるでしょうか。
 
 
しかし、ラルフはとうとう、夜の路地裏で生ごみを漁りながら、涙を流して思います。
 
「ぼく さみしい」
 
その瞬間、読者は一瞬で彼のすべてを許してしまうのです。
なんてしずかで、さみしいことばなのでしょうか。
どこかでこんなことを思っている子どもがいると知ったら、黙っていられる大人がいるでしょうか。
そうして、ラルフのもとへ、主人のセイラとその家族が迎えにやってきます。
 
子どもたちよ、家族はいつだって君のことを愛しているのです。
 
 
「あくたれ」ラルフも反省し、彼は家族の一員に戻るのでした。
最後はそんな家族の愛を感じながらおしまい……。
 
 
とはならないのがこの絵本。
そしてラルフなのであります!
 
その思わず笑ってしまい、あきれてしまうラストを、ぜひご覧ください。
 
 
個人的には、生ごみを漁っているラルフの近くに、なぜか三羽鳥がいて、左右の鳥が真ん中の鳥を元気づけるようなそぶりをしていたり、ページのはじの細かいところにも、クスリと笑える要素があって、そこがまた素敵でした。
 
作者のあとがきには、「知っていることをかけばいいんだよ」という言葉。
こんな風に、背伸びせず、ありのままであることを認めてくれるひとだから、こんな作品を作り上げられたんだのでしょうね。
 
やんちゃ坊主、やんちゃガールに手を焼くおとうさんおかあさんにもおすすめしたい一冊です。

アンガスとあひる

 

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アンガスとあひる


すべての愛犬家に捧げる絵本シリーズ・その1です。

そしてまさにその筆頭の作品であります。

 

『アンガスとあひる』

作・絵 マージョリー・フラック

訳者 瀬田貞二

福音館書店

  •  

とにかく主人公のスコッチテリア、こいぬのアンガスがかわいい

きっと犬と暮らしたことのある方ならば

 

「わかるわかる」

 

と、思わず笑いながら読んでしまうことうけあいです。

僕も読むたびに、昔飼っていたパピヨン犬のことを思い出して笑ってしまいます。

 

  • あらすじ

なんでもしりたがり屋のアンガスは、家の庭の生け垣の向こうから聞こえてくるやかましい音の正体が知りたくてしかたありませんでした。

ある日、アンガスくんはとうとう生け垣をくぐり向こうがわへ。

そこには二匹のあひるがいました。

かましい音の正体は、その二匹のなきごえだったわけですね。

アンガスくんは最初、二匹を好奇心のままにおいかけるのですが、最終的にはやはり怒りを買ってしまい、逆においはらわれてしまいます。

結局家まで全速力で逃げ、アンガスくんはソファの下にもぐりこんで

 

『とけいのきざむ、いち、に、さんぷんかん』何も知りたいと思わなくなってしまうのでした。

 

 

この絵本の最大の魅力はやはり、上記しましたが、作者マージョリー・フラックの描くアンガスの愛くるしさであります。

絵本によくあるデフォルメされたイラストのかわいさはありません。

アンガスのさまざまな表情、立ち上がって水溜めから水を飲むときの短いあんよ。

あひるにおいたてられるときの必死な走り方。

そのひとつひとつが愛おしくて、思わず抱きあげてキスをしてあげたくなるほどです。

そこには犬(保護すべきもの)が与えてくれる幸せと喜びしかありません。

 

ただただかわいいだけの絵本には描けない、保護者(大人)からの視点も感ずることできます。

 

出版されたのは1930年。

翻訳出版に至ったのは、1974年となっています。

近年の絵本には見られないおだやかな時間の流れがこの絵本のなかには閉じ込められています。

そしてこのおだやかな時間の流れこそが、僕が絵本に欲しているものだと実感した作品でした。

 

ちなみにシリーズもので、全5作となっています。

『アンガスとねこ』

『まいごのアンガス』

『ベスとアンガス』

『トプシーとアンガス』

そしてこの『アンガスとあひる』となっています。

 

僕が図書館でこの本を読んだ際は、『アンガスとねこ』『まいごのアンガス』の三つだけしか日本語訳が無かったのですが、2007年ごろに残りのふたつが出版されたようですね。

僕もこの記事を書く際に調べて知り

 

「えっ! あるの!?」

 

と喜びの叫び声をあげてしまいました。

ただ出版社と翻訳されている方がちがい、アリス館、まざきるりこさんとなっておりました。

 

そして残念なことに絶版。

「ほしいなぁ。買っちゃおっかなぁ」と金額を調べたら相当高騰しておりました……。

ふつうの絵本より0が一個多いではありませんか……。

 

ええいちくしょうめえ!

 

いつか巡り合う日を祈るしかありませんね……。

 

話はずれてしまいましたが、『アンガスとあひる』

ぜひ一度手に取ってみてくださいませ。

あたたかなひだまりのような、おだやかな幸せをくれる絵本です。

絵本を読むのだ……(はじめに)

「絵本をもっと読んでみたいなぁ」

 

僕がそう思ったのは、二年ほど前のことでした。

もともとNHK教育放送のような人形劇、クレイアニメ、むかしばなしなどが好きでした。

 

「もっともっとこのような世界を知りたい!」

 

僕はフガフガと本屋さんへ突撃しました。

しかしながら、絵本は一冊一冊が、なかなかのお値段。

読み始めてから改めてわかるのですが、絵本というのはやはりとにかく出来る限り原画の美しさをそこなわないような作り方をしているもの。

また、作家の作品への労力を考えると妥当な金額。

基本的には大人から子どもへ贈られるものですしね。

 

 

「どうしようかしらん……」

 

僕は考え考え、とうとう頭の上に電球がピコーンと灯りました。

 

「図書館があるじゃないか!」

 

そうして僕は、図書館にこもって、絵本コーナーにいる子どもたちに「ごめんね通るねぇ」「お邪魔しますねぇ」などと断りを入れながら、絵本を読み漁るのを趣味とすることになったのでした。

そしてお気に入りになった作品は時折購入し、本棚でこちらを見て笑っております。

 

このブログでは、その中で個人的に特におもしろかった作品を紹介していこうと思っております。

お子さんがいらっしゃる方はもちろん、絵本愛好家の少年少女・中年中女・老年老女、絵本に興味のない方々まで、すべての人に楽しんでいただけるよう気張っていきます!

どうぞよろしくおねがいいたします。

 

それでは!